学校法人愛隣学園 取手幼稚園

園長のおはなし バックナンバー

子ども礼拝 2017年7月7日

 7月の聖句をみんなで憶えていますね。「みんながして貰いたいことを、他の人にもしてあげてください」という意味ですよ。みんなは、どんなことを、ほかの人からして貰いたいでしょう? いろいろあると思いますけれど、きっと「嬉しいこと」をして欲しいでしょう。いやなことなんかして欲しくないに決まっています。でも「嬉しいこと」がいつもいいこととは限りませんね。たとえば、私(園長)はチョコレートが大好きです。チョコレートを貰ったらうれしいんです。だからみんなにもチョコレートあげようと思ったとします。そこまではいいのです。でも、みんながそのとき虫歯だったらどうしますか? 虫歯の時にチョコ貰っても、うれしくない。園長は自分が貰ったら嬉しいけれど、みんなは嬉しくないってことになりますよね。
 私(園長)はこんなふうに思います。「その人のためになることってどんなことかな」って、いつも考えてみたらいいんじゃないかな。「おともだちのためになること」って、どんなことでしょう。ふだんだったらチョコ貰ったら嬉しい。でも、虫歯になったときには、嬉しくない。同じチョコなのに、ですよ。
 ぼくたちわたしたちが、お友だちや、まわりの人たちが大好きです。だからその人たちを大事にしようって思います。そんなときには「その人のためになること」っていうのを考えて、してみてあげてください。その人のことを一所懸命考えて、その人のためになることをするのを「親切」っていいます。親切な人になっていけたらいいなって私(園長)は思います。

ルカによる福音書 6章31節
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

7月の「園だより」から

 いよいよ夏がやってきますね。このお話を書いているときはまだ梅雨の中ですから、あまりお天気がはっきりしませんけれど、夏休みになるころは、きっと毎日暑い日が続いているでしょう。夏休みには、どんなことをやってみたいですか? いろいろやってみたいことがあると思います。どの遊びから始めようかな? 私(園長)は生き物が好きだったから、虫や魚をつかまえる毎日だったかな…どんなことをして遊んでもいいんです。トコトンやってみてください。いまトコトン遊ぶと、きっとおとなになっても、いろんなことをトコトンやれる人になるでしょう。だから、夏休みって、ちょっと「せんせい」みたいなとこがあるかもね。思い切り楽しんでくださいね。あっ、でも忘れないでくださいね。幼稚園の先生たちも、みんなと会えない夏の間すごくがんばっていますよ。秋にはまた楽しいことをいっぱい用意して、幼稚園で待っていますからね。

ルカによる福音書 6章31節
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

子ども礼拝 2017年6月30日

 6月も今日で終わりです。これまでに「どんなことにも感謝しなさい」っていう言葉を憶えてきました。「感謝」っていうのは「ありがとう」って言うことでしたね。みんな、いろんな「ありがとう」の気持ちを持っていますか? 何かをしてもらったとき、おもちゃやお菓子をもらったら、ぼくたちわたしたちは、もちろん嬉しいけれど、それだけじゃありませんよね。目には見えなくても、ぼくたちわたしたちは、時々とっても嬉しいことがあります。そのときにきっと心の中では「ありがとう」を言っているんだと思います。でもね、心の中にある「ありがとう」の気持ちは、ちゃんと言ってみるといいですよ。みんなだって誰かから「ありがとう」って言われたら嬉しいでしょ? 黙っていると、心の中の気持ちはわかりませんよね。でも「ありがとう」って言ってもらったら、「あ、このお友だちは嬉しかったんだな」そういう嬉しいことをして、こっちも「良かったな」っていう気分になるじゃないですか。
 さて、こんなふうに「嬉しいこと」は良いことですよね。「嬉しい気持ち」と「悲しい気持ち」と、どっちが好きですか? ぼくたちわたしたちが「嬉しい」と思うことは、おともだちや周りの人たちも同じように「嬉しい」と思うでしょう。それじゃあ、ぼくたちわたしたちも同じように、お友だちや、ほかの人たちが「うれしい」と思うことをしてみたらどうかな? って思うんです。自分が「嬉しい」って思ったのはどんな時でしょう。それと同じことを、お友だちにしてあげることはできますか? ちょっとがんばってみてくださいね。

テサロニケの信徒への手紙1 5章18節
どんなことにも感謝しなさい

6月の「園だより」から

 私(園長)が幼稚園の頃、どうしてもホンモノのカタツムリがほしかったというおはなしを前にしたことがあります。雨の日のほうがうれしいくらいでした。「どうしてこの子はカタツムリなんてほしがるんだろうね」と母は不思議がりながらも、雨ガッパを着せてくれ、長靴をはかせて、虫カゴを持たせてくれました。さて、意気揚々と雨の中を出かけるのですが、おいそれ見つかるものではありません。ガッカリして家に帰るのでした。
 次の日は幼稚園でお絵かき。雨の中をひとりぽつねんとたたずんでいる自分を描きました。「よしと君、これは何をしているところかな?」と先生が訊きます。「でんでんむし探しに行ったとこ。でもいなかったんだ。雨の日にいるって、ごほんに書いてあったのに」すると先生は「よしと君、この次はここにでんでんむしさん描けるといいね」――カタツムリには会えなかったけれど、その時なんとなくホッとしたんです。

テサロニケの信徒への手紙1 5章18節
どんなことにも感謝しなさい

子ども礼拝 2017年5月26日

「いつも喜んでいなさい」っていうことですね。先週も、どんなときに「やだなー」って思うか、みんなにきいてみました。いろんなときに、ぼくたちわたしたちは悲しい気分になったり、「やだなー」って思ったりしますよね。そして、そんなときにガマンできるようになったらいいねっていうお話をしました。今日はもう一つ、ちょっと違ったお話をしますね。ぼくたちわたしたちが「やだなー」って思っていることがたくさんあるのですが、それが、ぼくたちわたしたちのために良いことかもしれないんです。ぼくたちわたしたちが、先生に叱られたとしますよ。それは「いやなこと」かもしれません。でも、どうして先生はみんなを叱るのでしょう? それはみんなのことをホントに好きだからですよね。みんながホントに元気でお友だちを大切にする人になってほしいから、だからみんながいけないことをするときに、先生はみんなを叱るんです。叱られて、ぼくたちわたしたちは「あ、これからはこんなふうにしよう」って思います。それと同じように、ぼくたちわたしたちは、何か「やだなー」っていうことがあったときも、そこから「次はこんなふうにしてみよう」って考えます。どうしたら「やだなー」っていうことをナシにできるか考えます。そうすると、次には、その「やだなー」っていうことが、なくなるかもしれないじゃないですか! 「いやなこと」も、ぼくたちわたしたちに役に立つことがあるっていうことですね。「やだなー」って思うことに負けずに、がんばってくださいね。

テサロニケの信徒への手紙1 5章18節
どんなことにも感謝しなさい

子ども礼拝 2017年5月19日

「いつも喜んでいなさい」っていうことですね。いつもうれしいことや、楽しいことがあったらいいですね。そしたらぼくたちわたしたちは、いつも喜んでいることができます。でもそんなことを言われても、悲しいこともあるし、やだなあって思うときもあるでしょう。みんなはいつも幼稚園で楽しいですか? どんなときが楽しいですか? そして、どんなときがやだなあって思いますか? ぼくたちわたしたちは、いつも楽しかったらいいに決まっています。でも、楽しいこと、うれしいことばかりではありません。それはみんなだけではありません。私(園長)のような大人でもそうです。でもね、私はこんなふうに思います。ちょっとぐらい苦しいことや、いやなことがあっても、それをガマンできるようになれたらいいと思いますね。どうしたらそれができるんでしょう? きっと明るい気持ちを持っていることです。ちょっとぐらい泣きたいことがあっても、悲しいことがあっても、みんなが明るい気持ちを持っていると、乗り越えることができるんじゃないかな? 明るい気持ちっていうのは、きっとぼくたちわたしたちにはいいことがあるって、いつも思っていることです。明るい気持ちを持って、毎日を過ごしてくださいね。。いろんなときに、ぼくたちわたしたちは悲しい気分になったした。今日はもう一つ、ちょっと違ったお話をしますね。ぼくとかもしれないんです。ぼくたちわたしたちが、先生に叱られことをホントに好きだからですよね。みんながホントに元気でられて、ぼくたちわたしたちは「あ、これからはこんなふうにから「次はこんなふうにしてみよう」って考えます。どうしたるかもしれないじゃないですか! 「いやなこと」も、ぼくた

テサロニケの信徒への手紙1 5章16節
いつも喜んでいなさい

5月の「園だより」から

 ある日、お花が咲いたとします。「うれしい」って思うお友だちはいますか? そのお友だちは、お花がしぼんでしまったら、きっと悲しいでしょう。「どんなお花が咲くんだろう」、「お水は毎日あげるのかな?」…いろいろ考えます。咲いたらもう嬉しくて、毎日見ます。でも、やがて枯れていきます。さびしいのと一緒に「お水忘れたりしなかったかな」なんて、ちょっと考えます。わくわくして、一生懸命お世話して、うれしくて、悲しくて、さびしくて、そしていろいろ考えて…そう、たくさんの思い出ができるんです。でも、お花が咲いても知らんぷりの人は、お花が枯れても、きっと知らんぷりでしょう。それだけ。それって、ちょっとつまんないですね。お花だけじゃありません。ぼくたちわたしたちのまわりにあるいろんなこと、「知らんぷり」をやめにして、よぉーっく見てみませんか。それはね、みんなが優しくなったり強くなったりするチャンスなんじゃないかなって、私(園長)は思うんですょ。

テサロニケの信徒への手紙1 5章16節
いつも喜んでいなさい

4月の「園だより」から

 新しい年度が始まりました。新しくこの幼稚園に入ったおともだち、ちょっぴりドキドキわくわくしていますか? ここから先にどんなおともだちが待ってるかなって思うと、ドキドキわくわくしちゃうんですよ。だから今日から、幼稚園で楽しくすごしてくださいね。そして、前から幼稚園にいるおともだち、えっ? あんまりドキドキわくわくしないなぁ、ですって? でも、ほら、新しく来るおともだちと遊ぶこと、考えてみてください。ね、やっぱりドキドキわくわくしてきたでしょ? この幼稚園の中で、みんなで楽しく過ごしましょうね。

マタイによる福音書 6章28節
野の花がどのように育つのか注意して見なさい。

3月の「園だより」から

 お別れの季節ですから、私(園長)は3月が嫌いです。いいえ、嫌いでした。えっ、今は好きか、ですって? う~ん、よくわかりません。だって、みんなとお別れしなきゃいけないし…それってやっぱり寂しいですよね。でも、こんなふうに考えて、お別れもガマンしてみようって思うんです。ぼくたちわたしたちは、誰かとお別れするとき、ちょっとずつ「心」が大きくなっていくんじゃないかなって思います。先生やお友だちとお別れするのが寂しかったら、そのとき、先生やお友だちが、みんなのことを大きくしてくれたって思ってください。そして、みんなもまた、先生や、お友だちの「心」を大きくしている…そう思うと、この季節も悪くないかなっていう気がします。

ヨシュア記 1章9節
あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。

2月の「園だより」から

 2月の節分は冬から春への季節の変わり目ですが、冬と春の間をいったりきたりで、まだまだ寒い日が続きますね。幼稚園でもばらぐみさんの卒園準備や、新しく入ってくるお友だちの一日入園など、普段と違ったことが多い時期です。それってちょっと落ち着かないときのように思えます。でもそんなときだからこそ、互いにもうすぐ離れ離れになるお友だちのことなんか、ここまで、どんなことがあったか、少し思い出してみるのもいいかもしれません。けんかもしましたか? 仲直りするのはたいへんでしたか? まだ仲直りできないままですか? お別れしたらもう会いたくないですか? それとも・・・・・・いろいろ考えてみてくださいね。

サムエル記上 17章47節
主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされない。

子ども礼拝 2017年 1月27日

 以前に「ぼくたちわたしたちは、みんなそれぞれ『いいところ』を持っている」っていうお話をしましたよね。その「いいところ」は、自分では、あまり気が付かないっていうことも話しました。でもね、周りの人が良く見ていると、わかっちゃうんです。みんなも、周りのお友だちのいいところは、すぐわかるでしょ? おともだちのいいところがあったら、ぼくたち私たちも「そんなふうになりたいなあ」って思います。いいなって、思ったところは、なんでも真似してみたらいいと思います。「まねする」って、ちょっといやな感じがするでしょう。でもね、「いいなあ」って思うことは、真似してもいいと思いますよ。
 だけど、ぼくたち私たちはみんな少しずつ違いますから、どんなにまねをしてみても、お友だちとまったく同じようにすることはできませんよね。でも、それでいいんです。お友だちを見て「あ、いいな」ってみんなが思うとき、みんなは、自分で気が付かなくても、自分の中でなにか「いいことをしたい」って思っているんですよ。
 それからもうひとつ。みんなはおともだちのまねをしなくても「いいところ」を持っているんですよ。それはね、みんなが何か役割をやろうとしているときにそれが分かります。そういえば「発表会」がちかづいていますよね。発表会でも、みんな一人ひとりは全部を自分だけでやることはできません。みんなで一緒にやります。そのとき全部のうちのどれか一つをやりますよね。それを「役割」っていいます。その「役割」っていうのをいっしょうけんめいやるとき、みんなの「いいところ」がでてきますよ。
 発表会だけじゃなくて、どんなところでもそうです。みんなのお部屋でみんなはどんな「役割」をやっていますか? その「役割」をいっしょうけんめいやってみて、周りの人たちがそれをよろこんでくれたら、それがみんなの「いいところ」だと、私(園長)は思います。

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。

子ども礼拝 2017年 1月20日

 ぼくたちわたしたちは、みんなそれぞれいいところを持っています。「いいところ」っていっても、自分のことは、自分ではあんまりよくわからないかもしれません。ちょっと考えてみてください。みんなは何かを上手にできますか? どんなことが上手にできますか? もしできたら、それはみんなの「いいところ」ですね。またはみんなはお友だちに優しくできますか? もしできたら、それはみんなの「いいところ」です。ちょっとぐらいいやなことがあっても、がまんできますか? もしできたら、それはみんなの「いいところ」です。他にもたくさん、みんなは「いいところ」っていうのがあります。
 この幼稚園の、みんなは何人ですか? 29人ですね。みんな一人ひとりが、「いいところ」を必ず持っています。
 みんなが持ってる「いいところ」っていうのを大事にしてください。「いいところ」っていうのを、なくさないでください。どうしたら「いいところ」をなくさないようにできるのでしょう?
 みんなの「いいところ」を、ほかのお友だちとか、周りの人たちが見て、喜んでくれたらいいなって私(園長)は思います。
 みんなは「自分のいいところって、何かな?」って思うかもしれません。ひょっとしたら、「自分のいいところなんて、なさそうだな」なんて思っているかもしれません。でも、おともだちとか、ほかの人たちがみんなを見て、とっても嬉しく思ったり、喜んだりしたら、それはみんなの「いいところ」です。みんなの「いいところ」っていうのはね、周りの人たちを喜ばせることができるんです。おともだちとか、周りの人たちが、みんなと一緒にいて、とっても嬉しく思ったり、とっても喜んだりする時、みんなはとっても「いいところ」を持ってるんだと思ってくださいね。

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。

1月の「園だより」から

新しい年になりました。どんな一年にしましょうか? といっても、園長が小さい頃には、「こんな一年にしよう!」なんて気持ちはあんまりなかったかなぁ・・・。でも、一年が過ぎ去って、それはもう二度と戻ってこない一年なんだって、教えてもらった思い出があります。二度と会えないお友達みたいなものなんだって。だから、どんな一年になるかはわからないけれど、大切に過ごさないといけないですよね。でも「たいせつ」って、どんなふうに? きっと、まいにちまいにち「どこまでもやってみる」ってことじゃないかな? どんなことでもいいですよ。やってみたいこと、どこまでもやってみてください。それがみんなにとって「一年を大切に過ごす」ことだと、私(園長)は思います。

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。

子ども礼拝 2016年 12月1日

 新しい月が来ました。12月ですね。クリスマスが近づいて、みんなもページェントの練習を一生懸命やっていますね。
 ところでサンタクロースのほかに12月っていうと何を思い浮かべますか? そう、雪が降ったりして、寒い季節ですよね。今年は特に寒いですよ。でもそんなときにイエス様は生まれたんです。それがクリスマスの夜なんですよ。みんなはこの12月の夜、お外にいたらどうですか? とっても寒くて、ちゃんとお洋服を着ていないと、がまんできないですよね。今日の寒さはがまんできるかな? でも、イエス様が生まれた日は、きっと我慢できない寒さだったと思います。寒いのをがまんするのはとってもたいへんだけれど、みんなは今までがまんできないようなことが何かありましたか? がまんできないくらい痛かったとか、がまんできないくらい悔しかったとか、がまんできないくらい悲しかったとか、がまんできないくらいおなかがすいたとか…。そういうことがありましたか? みんなが生きていくときには、そんなふうにどうしても「がまんできないとき」っていうのが時々あります。「がまんできないとき」にイエス様は生まれてきました。がまんできないときに、神様は来てくれるんです。
 転んでけがをして痛い時がありますよね。でも、ぼくたちわたしたちは「がまん」します。布団の中で寝ていて、起きるのがいやだなって思うときがあります。でも「がまん」します。たいていのことを、ぼくたちわたしたちは「がまん」します。そして「がまん」しないといけません。でも、どうしてもがまんできないとき、神様は来てくれるんです。それって、嬉しいですよね。だから、クリスマスは嬉しいんです。クリスマスはイエス様(神様)のお誕生日ですから。ページェントではそのイエス様が来る時のこと、イエス様のお誕生日を劇にしようとするわけですよね。「がんばっても、どうしてもがまんできないときにイエス様(神様)が来てくれる」そんなことを思いながら、練習をやってみてくださいね。

ヨハネによる福音書 3章6節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

12月の「園だより」から

 今年も心がスッと寒くなるような痛ましいことが、日本でも世界でもたくさんありましたね。体が凍えるようなとっても寒い季節ですから、どこかに心の暖まるようなお話がないかなあ、そんなお話が聞きたいなあ、なんて思います…でもね、みんな、「どこかに」なんて言わないで。あったかいものはね、ホントはみんなの中にあるんですよ。クリスマスっていうのは、みんなのような子どもも、私(園長)のようなおとなも、みんなで、「あったかい心」のことを思ってみる季節なんですよ。別にむずかしいこと考えなくていいんです。みんなが嬉しい気持ちになったときのことを思ってみてください。それを誰かに分けてあげることができたら、その誰かも喜ぶかも。自分ももっと嬉しいかも…なんて思いませんか? ちょっぴり考えてみてください。それだけで、みんなはもう、あたたかい心になっているんですよ。

ヨハネによる福音書 3章6節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

子ども礼拝 2016年 11月2日

 新しい月になりました。「実りの秋」なんて言います。
 きっと、お野菜やお魚なんかを、おうちの人と一緒にお買いものをすると思うんですけれど、そのときにちょっと注意してほしいと思うんです。スーパーに行くと、いろんなお野菜や果物が並んでいますよね。みんなは、どんな果物が好きですか?
 みんな、形も色も大きさも違いますよね。そして、例えばみかんという果物があったとしますよね。今度おうちの人とスーパーに行ったときに、例えば、お魚のパックを二つ、野菜を二つ、果物を二つ、じっとよく見て、比べてみてください。例えばみかんにしましょうか。二つのみかんを持ってきましょう。同じみかんでも、よぉーっく見ると、ちょっとずつ違います。色も、ちょっと緑色っぽいのもあるでしょう。またとっても黄色いのもあります。また大きいのもあるし、ちょっと小さいのもありますね。だから、みんな少しずつ違うんですよ。少し緑色っぽいみかんは、ちょっと酸っぱいかもしれませんね。酸っぱいみかんが好きな人もいます。オレンジ色のみかんはきっと甘いでしょうね。甘いのが好きな人もいます。そういえば、ぼくたちわたしたちも、みんな違いますよね。顔が違ったり、背の高さが違ったり、そういうふうに違いがあります。自然にできたものは、みんな少しずつ違うんです。人や、動物や、魚や、野菜や、果物や、お花なんかがみんなそうです。ぼくたちわたしたちが作っているエルマーみたいなのが、いるかもしれません。カラスは黒い鳥さんだけど、ときには白いのもいるんです。フナというおさかなは、茶色っぽいんだけれど、真っ赤なフナがいました。その赤いのがどんどん増えて、金魚になったんですね。そんなふうに、見た感じがほかと違う動物や植物が、ときどきあります。でも中身はおんなじです。
 違っていることがいいこともあります。酸っぱいみかんと甘いみかん、よく味わってみると、どっちもおいしいんです。だから、「違っている」って、悪いことじゃないんです。エルマーを作りながら「違っているって素敵かもしれない」って、ちょっと考えてみてくださいね。

詩編 33編5節
地は主の慈しみに満ちている。

子ども礼拝 2016年 10月21日

 ばら組さんは、一昨日筑波山登山をやりましたね。一所懸命お山に登るのは大変だったけれど、てっぺんに着いて、気分はどうでしたか?
 これからだんだん寒い冬になっていきます。本当の冬が来る前に、ぼくたちわたしたちは「作品展」をやりますよね。もうみんなはその準備をしていますか? お部屋の中でいろんなものを作ると思うんですけれど、どんなものを作りますか?
 さて、それぞれのお部屋で作品展の準備をするときに、こないだの運動会のこともちょっと思い出してください。「えっ、もう終わっちゃったのになんで?」って思うかもしれません。でも、運動会と作品展はよく似ています。まず「みんなで力を合わせる」っていうところがよく似ていますよね。それから、もうひとつ。それはね、「みんな一人ひとりが、がんばるっていうことです。いくら力を合わせるといっても、みんな一人ひとりががんばらなきゃ、力を合わせることはできません。その一人ひとりががんばるっていうことだけど、「がんばる」っていうことは、「やだなー」って思うことを無理にやることではないと思います。「やだなー」と思いながらやるんじゃなくて、みんな一人ひとりが「いいなあ」「楽しいなぁ」と思えるような、そういう気持ちで何かできるようになってほしいと思うんです。そして、自分だけが「楽しい」んじゃなくて、みんなが一緒に、「楽しい」って思えるにはどうしたらいいんでしょう? そういうことを、おともだちとか先生とかと、お話ししてみてください。先週私(園長)は「心を込めて」と言いました。みんなが楽しいって思えることには「心を込める」ことができるはずです。それに「心を込めて」やってみると、ちょっとぐらい「難しいな」って思うときでも、楽しくできるんです。  一人ひとりが「楽しく」、みんなで「楽しく」作品展の準備をしてみてください。「心を込めて」作ったものは、とっても立派だと私(園長)は思います。

マタイによる福音書 5章16節
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

子ども礼拝 2016年 10月14日

 運動会も終わりましたね。みんなとってもがんばったと思います。勝っても負けても、一生懸命やったから、みんな気持ちよかったでしょう。運動会では、もちろんみんなはたくさん体を使いましたね。みんなは元気に体を動かして、おゆうぎだとか、かけっこなどをやったのですよね。でも、みんながそんなふうに力いっぱい身体を動かすことができるのも、「強い心」があるからです、っていうお話を、運動会の前にしてきましたよね。そして、運動会が終わってから、なんだか急に涼しくなってきましたね。こうして暑かったり、涼しかったりっていうのを繰り返しながら、少しずつ秋から冬になっていきますよ。
 さて、ここから先にも幼稚園ではいろんなことがあります。来週には、ばら組さんは筑波山に登ります。これもまた身体を動かすから、ちょっと運動会に似ているかもしれません。でも競争ではありませんから、運動会とはちょっと違うかもしれません。その他には作品展だとか、お部屋の中でいろんなものを作ったりするものがありますよね。それに、クリスマス・ページェントも、やっぱりこのホールでやっているものです。お部屋の中ですることも、運動会と同じく、ぼくたちわたしたちが、心を込めてやらないと、最後まで続けることができません。運動会で、みんなは負けそうになっていても、最後までがんばったでしょう。お部屋の中でもそれは同じです。お絵かきをしたり、粘土で何かを作ったりする時も、運動会と同じくやっぱり「心」がないと最後までやりきることができないんです。運動会みたいに「あきらめない心」も、もちろん大切です。それに、いろいろ工夫してみる「心」も大切ですね。「工夫」っていうのはね、どんなふうにやったらいいかな?って、いろいろ考えてみることです。身体はあんまり動かさないかもしれないけれど、その分、「心」はたくさん使います。お部屋で何かするとき、どんなことでも「心を込めて」やってみてほしいなって、私(園長)は思います。

マタイによる福音書 5章16節
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

10月の「園だより」から

オリンピックで、せっかく金メダルを取ったのに、その後悪いことしちゃった人もいました。そうかと思うと、転んじゃった選手を助け起こしてあげた別の選手もいましたね。さて、かっこいいのはだれでしょう? 幼稚園でも運動会が近づいています。そこでも「勝ち負け」があり、「競走」があります。これから大きくなるにつれ「競走」や「競争」をいろんなところでします。でもそのことは、思いやりがなくてもよい、ということではありません。競争相手に勝つことよりも、自分に負けない心を持っている人は「思いやり」があり、「本当のチームワーク」を作ることができるでしょう。運動能力ばかりでなく、「こころ」を高める運動会を目指しています。

マタイによる福音書 5章16節
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

9月の「園だより」から

夏休みを楽しく過ごせましたか? どんなことをしましたか? どんな人に会いましたか? みんなが夏休みに、いっぱいやったこと、出会って過ごしたたくさんの人たち… 夏休みが終わった今、一つひとつ思い出して、いつまでも憶えていて、大切にしてくださいね。大切にすると、みんなの「心」が大きくなってきますよ。みんなは大きくなるとき、身体だけじゃなく、「心」も大きくなるんです。「心」が大きい人は、自分で考えたり、自分でやってみたりする人です。そして、そういう人は、強くなれるし、優しくなれるんです。2学期が始まりますね。幼稚園でもまた、お友だちと一緒に、いろいろやってみましょうね。


子ども礼拝 2016年 9月9日

 みんなは「心」という言葉を知ってるでしょうか? 「心が優しい」とか「心が強い」とか、言うでしょう。「心」って、何でしょう? それはね、ぼくたちわたしたちの中にある「気持ち」みたいなものです。「気持ち」ってね、体のどこにあるかよく分からないんですよ。でもね、「気持ち」って、とってもすごいんです。たとえば、大きくて、力の強いお友だちがいたとします。もう一人、こっちには小さくて、力の弱いお友だちがいたとします。この二人が、何か競争みたいなことをするとしましょう。どっちが勝ちますか? 普通は、大きくて力の強いお友だちが勝っちゃうんです。力が強いってことは、足の力も強いんです。だから速く走れるでしょう。力の強いお友だちは、腕の力も強いんです。だから重たいものを持ち上げることもできるでしょう。でもね、いつもそうとは限らないんです。ときには小さくて、力の弱いお友だちの方が、勝っちゃうこともあるんです。どうしてでしょう? それは、そのお友だちが「よーし、がんばってやってみるぞ」っていう「気持ち」を持っていたからです。その「気持ち」のことを「心」っていうんです。「心」がないと、体は動きません。どんなに力が強くても「その力を出そう」っていう気持ち、「心」がないとだめなんですね。私(園長)は、みんなに、その「心」っていうものを大事にして欲しいと思います。「心」っていうのは、だれでももっています。でも、それを、大切にできる人と、大切にできない人がいます。心を大切にできる人が、本当の「強い人」「すてきな人」だと、私は思います。じゃあ、「心を大切にする」って、どういうことでしょう? そのおはなしをこの次にしますね。今日は「心」って「気持ち」のこと、それがとっても大事だっていうことを、覚えてくださいね。

旧約聖書 サムエル記上 16章7節
 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」

子ども礼拝 2016年 7月15日

 先週は「互いに」というお話をしました。私(園長)からも「握手」、みんなのほうからも「握手」。どっちかだけではなく、どっちも、というのが「互いに」っていうことでしたね。
 さて、みんなにお友だちがいたとします。そのお友だちを助けてあげようとします。どんなときに助けてあげたらいいのでしょう? お友だちに何でもしてあげたらいいのでしょうか? みんなは、お友だちから、どんなことをしてもらいたいですか? アイスクリームが好きなお友だちはいますか? 私はアイスが大好きです。誰かがみんなにアイスをくれたとしますよ。それはきっと、とっても嬉しいことですね。だけど、こんなことを考えてください。みんなが虫歯だったとします。とぉーっても歯が痛かったとします。そういうところにだれかお友だちが、アイスをくれたら、うれしいですか? アイス食べたい気持ちはあるかもしれませんけれど、食べられませんよね。普段だったらアイスが美味しいかもしれないですけれど、虫歯の時にアイスをもらって、それを食べて、もっと虫歯がひどくなったら、いやですよね。こんなふうに、ぼくたちわたしたちは、そのお友だちのために、「一番いいことはどんなことかな?」って、考えないといけないんですね。お友だちのことを考えて、一番いいと思うことをしてあげて欲しいんです。それも「互いに」ですよ。自分だけがやるんじゃなくて、相手のお友だちにもやってもらいましょう。みんなが歯が痛かったら、私はこう言います。「今日、とってもいやかもしれないけど、歯医者さんに行ってください。今日行かないと明日もあさっても歯が痛いんですよ。でも今日行けば、歯が痛いのは、今日で終わりになりますよ」って。
 お友だちのことを考えてあげられる人になってください。そして、お友だちも、ぼくたちわたしたちのために、きっと何かしてくれてるって思いながら、もっともっと仲良しになってくださいね。

新約聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 4章7節
 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。

子ども礼拝 2016年 7月1日

 今日から7月ですね。とっても暑くなってきますよ。それに夏休みが近づいてきますね。夏休みにはみんなどんなことをするのでしょう? きっといろんな人たちに会うと思います。普段のぼくたちわたしたちは、おうちの人たち、それから幼稚園のおともだちや先生たちと一緒にいますよね。でも夏休みになると、いろんな人に会います。ひょっとしたら新しいおともだちができるかもしれませんよ。この幼稚園のおともだちもそうだけれど、みんなはおともだちに何かしてもらったとしたら、どんなときが一番嬉しかったでしょうか? その嬉しかったときのことを、よく覚えていてください。そして、今度は、みんなの方から、同じようにしてあげて欲しいと思います。何かお手紙をもらって嬉しかったら、今度はお手紙をあげてください。助けてもらって嬉しかったら、こんどは助けてあげてください。でも、何にもしてもらわないときでも、みんなはおともだちに、先週お話したように、おともだちが喜ぶようなことをしてあげてください。自分の方からしてみてください。それが、おともだちを大切にするっていうことです。おともだちだけじゃありません。動物とか、お花なんかもそうですよ。動物やお花はなにも言いませんね。でも、お水が欲しいな、とか、ごはんが欲しいな、とか、おうちをきれいにして欲しいな、とかって、思っているかもしれません。そういうときに、みんなが気がついて助けてあげたら、きっと喜ぶと思います。おともだちの中にも、あまりおしゃべりしないおともだちもいるかもしれませんね。でも、そのおともだちが心の中で、どんなふうに思っているかな、何をしてほしいのかな? って考えてみてください。そして、ぼくだちわたしたちができることを、してみてください。きっとそのおともだちと仲良くすることができるでしょう。そして、みんなはもっともっと沢山のおともだちを作ることができるようになると思います。これから沢山のおともだちを作ってくださいね。

新約聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 4章7節
 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。

7月の「園だより」から

 だんだん暑くなってきました。熱中症や水の事故にじゅうぶん気をつけながら遊びます。それにしても「思いっきり」っていう言葉がピッタリなのがこの季節です。なぜでしょう? それはきっと、この夏のおひさまとか、鳥とか動物、さかな、それに花や木々がいっしょうけんめい生きていく姿と、ぼくたちわたしたちの「なにかしたい!」という「ちから」っていうか、「えねるぎー」っていうか、そんなのが、よく似ているからじゃないかなって思います。だから、もうすぐ夏休みですけれど、なにか「思いっきり」やってみてください。みんなはなにをやってみたいですか? なんでもいいですよ。先生たちも、園長も、おもいっきりやってみたいことがいっぱいありますよ。夏休みになる前に、お話してみてくださいね。


子ども礼拝 2016年 6月24日

 今月は「毎日『いいこと』を続けられるようになってください」というお話をしています。もちろん今月だけじゃないですよ。「これからずっと」ということですよね。いつも、いいことを、毎日続けるのは「えーっ、たいへんかな」って、みんな思うかもしれません。でもね、ちっちゃいことでいいんです。ちっちゃくても、ほかの人が喜んでくれるかもしれないですよね。それはとってもすてきなことです。みんなは小さいことと思うかもしれないけれど、その相手の人にとってはおっきいことかもしれませんよ。だから、「ちっちゃなことだからやらなくていいや」なんて思ってはいけません。ちっちゃなことでもいっぱい集まると、どうなりますか? おっきくなるでしょう? そういうことをどんどんやってみてください。
 さて、「いいこと」の中には「じぶんにいいこと」と「他の人にいいこと」がありますよ。その二つがくっついたのが、ほんとうの「いいこと」です。嬉しいことや楽しいことが「いいこと」とは限りません。たとえば、歯がとっても痛いのに、お菓子ばっかり食べてたらどうなりますか? 自分のためにはならないでしょう? きっとみんなは歯医者さんに行くでしょう。お菓子もしばらくがまんします。うれしくないと思うけど、大事なことです。また、お友だちが、なかよしランドでとっても危ない遊び方をしているのを見たら、みんなはどうしますか? 「あぶないよ」って言ってあげますよね。きっとお友だちはガッカリするかもしれません。でもケガをしなくてすむかもしれません。そういうことはとっても小さいことです。でも、とっても大事なことです。そういうことを少しずつ続けてみてください。どんなことが「いいこと」なのか、自分で考えてみてください。そして大人になるまで、大人になっても続けてみてください。みんなが大人になったその時に、きっとみんなは、自分のことと、お友だちのことを大切にできる人になっていると思います。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅱ 3章13節
 たゆまず善いことをしなさい。

子ども礼拝 2016年 6月10日

 先週は「毎日『いいこと』を続けられるようになってください」というお話をしました。さて、「いいこと」ってどんなことか、みんな考えてみましたか? 今日は「花の日」っていいます。お花が元気に咲くように、みんなも元気に育ってほしいなって思うんですよ。
 きょうはみんな、たくさんのお花を持ってきてくれました。この幼稚園でもお花を植えていますね。お花はとってもきれいです。見ると、「わぁー、すてきだな、きれいだな」って思っちゃいますね。みんなはどんなお花が好きでしょうか? いろいろあると思います。でも、みんなそれぞれきれいですよね。どうしてでしょう? それはね、お花が一生懸命咲いているからです。お花は、ぼくたちわたしたちよりずっと小さいし、それに弱いですよね。でも、一生懸命に咲いています。ちょっとやそっとの雨だとか、風とかが吹いてもへっちゃらです。もちろん最後には枯れていきますけれど、がんばっていますよね。がんばっているっていうのはね、とってもきれいなんですよ。それと、いろんなお花がありますよね。色もそれぞれ違うし、大きさも、形も違います。でもね、おっきいお花もきれいだけど、小っちゃいお花もきれいでしょ。そして赤いお花もきれいかもしれないけど、白いお花もきっときれいです。そんなふうに、どのお花も、それぞれすてきなところがありますよね。風にも雨にもまけないで、一生懸命がんばる。そして小っちゃくても、おっきくても、赤くても、白くても、黄色くても、みんなそれぞれの良さを持っている。ぼくたちわたしたちもそうですよね。お花を見て、ぼくたちわたしたちも、いろんなことに簡単に負けたりしないで、そしてみんな少しずつ違うけれどもそれぞれにすてきなところがあったらいいなって思います。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅱ 3章13節
 たゆまず善いことをしなさい。

6月の「園だより」から

 6月です。私(園長)が生まれて初めてカタツムリを見たのも、小学校に上がる前の6月だったと思います。ずーっと探していたのですが、雨上がりのある日、公園のアジサイの葉っぱのうしろに4匹くっついていたんです。びっくりして、うれしくって、思わず「いたっ!」って大声で叫んでしまいました。それを聞いた公園中の人たちが何事かと驚いて駆け寄ってきたのを覚えています。最初はみんな「な~んだ、でんでんむしか」とか言っていたのですが、そのうち、タライに入れて飼ったらいいとか、えさはキャベツがいいとか、いろいろ教えてくれました。持って帰って、大事に育てました。小さいこどもの驚きも、喜びも、そこいらじゅうにあると思います、それを大切にできるおとなであり続けたいなと思います。


5月の「園だより」から

 5月になって、いよいよ暖かくなってきました。でも、おっきな地震がありましたね。「地震」って、この地面がグラグラゆれて、ときにはおうちなんかも倒れちゃうんです。誰かが悪いことをしたから地震になるのでしょうか? いいえ、誰も悪くないんです。地球さんが、風邪をひいちゃったのかな? それでブルブルふるえているのかも。でもその地震で、おうちを失くしたり、おうちの人やお友達が死んでしまったり、悲しくて苦しい思いをしている人たちがたくさんいます。ぼくたちわたしたちは、みんな地球さんの上にいる仲間です。仲間の中に、苦しんでいる人、悲しんでいる人たちがいることを、忘れないでいましょうね。


4月の「園だより」から

 4月になりました。また新しい年度がはじまりますね。「新しい」っていうと、何だか「ドキドキ」しちゃいます。でもだいじょうぶ。だって他のお友だちも、みんなドキドキしているんですから。どうしてドキドキするのでしょう? それはね、今までやったことのないことを、初めてやろうとするからです。新しいことをするって、そういうことです。だから、みんなちょっぴり心配してしまうし、それにちょっぴり「怖い」って思っちゃうのも、仕方ありませんよね。そうすると、ドキドキしちゃうのは、ぼくたちわたしたちばかりじゃありません。大人の人たちだって、やっぱり同じようになっちゃうんです。その「ドキドキ」を味方にしちゃいましょう。「心配だな」「怖いな」っていう気持ちがあると、ドキドキしちゃうので、それをやめて「きっと楽しい」って思ってみるのはどうですか? そうすると、きっと、「ドキドキ」が「ワクワク」にかわりますよ。「ワクワク」がいっぱいの幼稚園で、楽しくすごしましょうね。


3月の「園だより」から

 今年度も最後の月になりました。ばら組のみなさんは卒園が近づいて、いよいよ幼稚園とお別れのときですね。すみれ組さん、たんぽぽ組さんも、今までのお部屋とお別れです。みんなのこの一年は、楽しかったかな? 幼稚園は、たのしかったかな? ほかのお友だちと一緒に、楽しく過ごせましたか? みんなは、また、ちょっぴり大きくなります。大きくなるっていうことは、いままで見たり、聞いたり、やってみたことを、ぜーんぶ自分の力にできるってことです。みんなはお友だちと一緒に楽しく過ごすことができたのですから、これからも、またどこへ行っても、そうしてくださいね。幼稚園にも、小学校にも、新しいお友だちとの出会いが待っていますよ。


子ども礼拝 2016年 2月26日

 先週は「助け合う」というお話をしました。みんなの持っている力を自分のためだけではなく、お友だちなど、ほかの人たちのためにも使いましょう。そういうことをすると、お友だちも、持っている力をみんなのために使ってくれるかもしれません。「助け合う」って、そういうことですね。そうすると、お友だちともっと仲良しになれると思います。
 さて、みんなの力というけれど、みんなにも、もちろんできることとできないことがあります。ぼくたちわたしたちは、いつもいろんなことを一所懸命にやってみたいんです。でも、どんなにがんばっても、できないときがあるかもしれません。ちょっぴり大変でも諦めちゃだめですよ。諦めると、あとでいやな気持ちになります。「もうちょっとがんばってみればよかったな」ってね。お外にいるときも、自分の力をいっぱい使ってください。でもね、なかには、自分の力をいっぱい使えないお友だちもいるんだ。たとえば、みんなよりちっちゃいお友だち。病気のお友だち。こういうお友だちは、がんばりたくてもがんばれないことがあります。みんなは、そういうお友だちの気持ちも分ってあげたいですね。
 みんなが誰かを助けるとします。そのときは、みんなが一所懸命がんばってみても、どうしてもできなかったときのことを思い出してみてください。そういうとき、お友だちが、みんなの気持ちをわかって、そして助けてくれたら、きっと嬉しいでしょう。みんなも同じように、他のお友だちにそうして欲しいんです。
 なんでもがんばれる、自分の力を出しきれる人っていうのは、自分のことばかりに一所懸命になっている人ではありません。相手の気持ちを分かってあげられる人のことです。みんなには、そういう人になって欲しいって思います。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章6節
 わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。

子ども礼拝 2016年 2月5日

 2月になりました。もうすぐ発表会がありますね。さて、みんな発表会では何をするのでしょうか? 歌を歌うおともだちもいるし、音の出る「楽器」を鳴らすお友だちもいますよね(楽器を鳴らすことを「演奏する」っていいますよ)。私(園長)も楽しみにしているし、みんなのお母さんやお父さんも、きっと楽しみにしているでしょう。
 さて、お歌を歌うお友だちみんなの声は、それぞれ少しずつ違います。もしもみんなの声が同じだったら、どうなりますか? きっとつまらないと思います。大きいお友だち、小さいお友だち、いろんなお友だちがいます。顔も違いますけれど、声も違いますよね。そして、楽器。これも、いろんな楽器がありますよね。みんな楽器の名前は教えてもらいましたか? どんな音がするでしょう? みんなそれぞれ違った音がしますよね。みんな同じ音だったら、・・・やっぱりつまんないですよね。みんなの声とか、楽器とか、それぞれ違うから楽しいんです。そして、みんなが違うっていうのは、とっても素敵なことですね。それはね、みんなにしかできないことがあるってことなんですよ。私(園長)は、私の声しか出せません。みんなもそうです。ほかの人にはできないこと、みんなにしかできないこと、それを大切にして欲しいんです。大きい声をだせるお友だちもいるでしょう。あまり大きくないけれど、その代わりきれいな声を出せるお友だちもいると思います。楽器もそうです。みんなはそれぞれ、ほかの人とはちょっと違うかもしれないけれど、とっても素敵なことができるんです。みんな一人ひとりが、そうなんですよ。それは、ぼくたちわたしたち一人ひとりじゃないとできないことなんです。私(園長)にできないことが、みんなにはできたりするんですよ。だからちょっとがんばってみてください。みんなが本当に「よーし、できるぞ」って思って、やってみたら、今度の発表会、とっても素敵になりますよ。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章6節
 わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。

2月の「園だより」から

 一年でいちばん寒い季節になってきました。だれかがいじわるして、大雪を降らせたり、冷たい風をふかせたりしてるのかな? 私(園長)は寒いのが苦手です。でも寒いくらいのほうが、「春を待ってる」って感じがします。みんなはどんなときに「待つ」のでしょう? おともだちがくるのを「待つ」とか、プレゼントをもらえるのを「待つ」とか…。ぼくたちわたしたちが何かを「待ってる」のは、きっと今よりうれしいことがあるからなんです。ぼくたちわたしたちが生きていくその先に、「きっとうれしいことがある」って思いながら歩いていけたら、とってもすてきですね。だから、とっても寒いこの時期は、ひょっとしたら、ぼくたちわたしたちに、「もっとうれしいことがあるよ」って教えてくれているのかもしれませんよ。元気に冬の日々をすごしてくださいね。


子ども礼拝 2016年 1月29日

 1月ももう少しで終わります。新しい年が来て、もう最初の1か月が終わっちゃうんです。とっても寒い日もあったし、暖かい日もありましたよね。とっても寒い時期なのにあったかいなあって思うときがあります。そして、「1月だからやっぱり寒いや」と思う日もありました。私(園長)が、みんなくらいの頃に比べると、今は冬がちょっとだけ暖かいみたいだって、言われているんですよ。でもぼくたちわたしたちは、みんな元気に過ごすことができましたね。お天気が寒くても暖かくても、ぼくたちわたしたちは、いつも同じように過ごします。だけど、外のお天気はそんなふうに寒かったり、暖かかったりすることがあると思いますけれど、みんなの心の中はどうでしょう? みんなの体が暖かいとか、寒いとか感じるのと同じで、みんなの心の中も暖かかったり、寒かったりすることがあります。みんなが嬉しかったり、楽しかったり、お友だちと仲良くできたりするときって、心が暖かいでしょう。反対に、悲しかったり、さびしかったり、お友だちとけんかなどをして、あんまり気持ちが良くなかった時などは、ぼくたちわたしたちの心は、寒いでしょう。
 そんなふうに心が寒い時、たとえばホントに悲しいときなどは、泣いてもいいと私(園長)は思います。ホントに悔しいことがあったときには怒ってもいいんです。悲しいこととか、悔しいことに負けずに大きくなって欲しいと思います。心が寒い時にも、負けないでほしい。でもね、「負けない」っていうけど、私(園長)は「ケンカをして勝てるようになりなさい」なんて言っているのではありません。そうではなくて、「負けない」っていうのは、いやなことがあっても、「ガマンできる」力のことです。「ガマンできないこともあるけれど、ガマンできることはしてみる」そういう力です。みんなは、冬の寒さをガマンできる力があるのだから、心の中の寒さもガマンできるようになってみてくださいね。

旧約聖書 詩編136編26節
 天にいます神に感謝せよ。

子ども礼拝 2016年 1月15日

 新しい年になって、1月も真ん中に来ましたね。先生からも聞いたと思いますけれど、この3学期というのはとても短いんです。ばら組さんがばら組さんでいられるのも、もうあとわずかです。ばら組さんは、あと2カ月で卒園ですよね。すみれ組さん、たんぽぽ組さんは、この幼稚園にこれからも来るけれど、今のお部屋にいるのはあと少しです。
 さて、3学期は短いばかりではありません。とっても寒いんです。冬っていいますよね。冬はとっても寒いんです。3学期が短いと、楽しいことも少なくなってしまうような気がします。その上、毎日寒い日が続くんですよね。
 さて、冬は寒いけれど、寒いから冬はキライだというお友だちはいますか? 私(園長)も、ホントのことをいうと、寒い冬は、ちょっと苦手です。あったかいほうが好きです。でもね、「寒いけれど、よーく探してみると、楽しいこともいっぱいあるんじゃないかな?」って思います。
 私(園長)は、ときどき、夜一人で買い物に行くことがあります。そのときの空を眺めたら、お星さまがとってもキレイでした(みんなは、お母さんやお父さんと一緒に見てくださいね)。夏には、あんなふうにはキレイには見えないと思います。だから寒くても楽しいことがいっぱいあります。幼稚園の中にも、どんな楽しいことがあるか、さがしてみてください。そして3学期が短いっていいましたけれど、「ちょっぴりだからつまんない」なんて思わないで、その短い3学期の中に、どれだけ楽しいことがいっぱいつまっているか、探してみてください。
 ばら組さん、すみれ組さん、たんぽぽ組さん、このみんなでいっしょにいられるのは、あともう少しだけです。楽しいことをいっぱい見つけて、そして短い3学期の中でおもいっきりいろんなことをやってみてください。最初にも言いましたけれど、1月ももう半分まで来ちゃいました。あとちょっぴりです。ちょっぴりだけれど、お友だちや先生と、おもいっきり楽しんでくださいね。

旧約聖書 詩編136編26節
 天にいます神に感謝せよ。

1月の「園だより」から

 新しい年がきましたね。どんな一年になるか、楽しみです。そう、楽しみにして欲しいんです。みんながこれから先、ずっと大きくなって、おばあちゃんやおじいちゃんくらいになったとき、幼稚園にいたときのことを思い出して「あのとき楽しかったね」って思えたら、私(園長)は、とってもうれしい。いま、みんながちっちゃな自分の頭でしっかり考えて、ちっちゃな自分の体でせいいっぱい何かをしてみると、それは後になって、とってもすてきな思い出になるんです。それだけじゃありません。みんなが生きていくときの「力」にもなるんです。ホントですよ。すてきな一年にしてくださいね。


子ども礼拝 2015年 12月11日

 今日は、クリスマス・ページェントの予行演習をしているところですね。先週も言いましたけれど、クリスマスを待っているというのが、この時期です。楽しい事があるかもしれないから待つんですよね。
 「待つ」っていうのは、何もしないことじゃありません。たとえば、この次の金曜日にはページェントの本番があります。みんなはその時まで待っていないといけませんよね。でも、それまで何もしないでいるということはないですよね。そう、今日のように一生懸命に練習して、本番のページェントで上手にできるように、がんばりますよね。
 また、ぼくたちわたしたちは、今日もこうやって、いろんな役割をしています。みんな、しゃべったり、歌ったりしますよね。そうしたら、しゃべったり、歌ったりするところがくるまで、みんなは待ってないといけないわけです。でも、みんなはきっと、心の中で「自分がしゃべること」とか「自分が歌うこと」とかを、思い浮かべているかもしれませんね。ちょっとドキドキしているかもしれません。でもね、それはみんながすてきなページェントにしようって、一生懸命に考えるから、それで、ドキドキするんです。みんなが、そういうふうに本番の前に、いろいろ考えたり、練習したり、そういうのを「準備」っていいますよね。
 今日はお友だちがおうちに遊びに来ます。さあ、何をして遊ぼうかな…そういうふうに考えるのも「準備」なんですね。ただ何もしないで待っているだけじゃなくて、ちょっとドキドキしながら待ってみましょう。
 今、みんなが一生懸命に練習しているクリスマス・ページェントはね、おかあさん、おとうさんへの、みんなからのクリスマス・プレゼントかもしれないんですよ。プレゼントあげるときも、ちょっとドキドキするでしょ? 「喜んでくれるかな?」って。みんなが喜んでくれることをお願いしながら、今日の練習をしてみてくださいね。

新約聖書 ルカによる福音書 2章11節
 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。

子ども礼拝 2015年 12月4日

 12月になりましたね。もうすぐクリスマスです。みんなページェントの練習を毎日一生懸命やっていますね。いまはちょうどクリスマスを楽しみに待っている時です。クリスマスを待っている時のことを「アドヴェント」っていいますね。みんな「待ってる」っていうのは楽しいよね。サンタクロースが何かプレゼントを持ってきてくれるのを「待ってる」それって、ワクワクしますよね。
 さて、ぼくたちわたしたちが、こうして何かを待っているのは、その先に、何か楽しい事とか、嬉しい事があるからですよね。誰も、「明日○△君とケンカをしよう」とか、そんなことを楽しみに待っているおともだちはいません。そりゃ時にはガマンできなくなって、ケンカをしてしまうことはしかたがないけれど、わざわざそれを楽しみに待っているなんてことはないですよね。ぼくたちわたしたちが悪い事をしてしまって、先生やママやパパに叱られるなんてことも、あるかもしれません。でも、「あした幼稚園に行ったら先生に叱られよう。」なんて思ったりしないでしょう。
 ぼくたちわたしたちにはクリスマスが近づいています。サンタさんがくれるクリスマスプレゼントだけじゃありません。いろんな事が、みんなの目の前に近づいてきます。新しい年はどんな事が来るだろう? たんぽぽさんがすみれさんになったら…すみれさんがばらさんになったら…ばらさんが小学生になったら…どんな楽しい事、どんなうれしい事があるだろうって、考えてみてください。そしてそれをワクワクしながら待ってみてほしいなって、私(園長)は思います。でもね、楽しい事や嬉しい事は、自分だけのものではありません。おともだちも、お家の人も、まわりの人も、みんな楽しくて嬉しい、それが、本当の楽しい事、うれしい事です。そういう本当の楽しい事・嬉しい事が来るって思いながら、一年の最後の時期をすごしてくださいね。

新約聖書 ルカによる福音書 2章11節
 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。

12月の「園だより」から

 12月。今年ももう少しで終わりです。幼稚園のおともだちはクリスマス・ページェントの準備で大忙しですね。でもね、みんな、どうしてクリスマスの何週間も前から「準備」をするのでしょう? 上手にできたほうがいいから…それもあります。でもね、ホントは、みんなに「あったかい気持ち」を心の中にズーッとためて欲しいから、そのための準備なんですよ。みんなが「あったかい気持ち」でページェントをやると、観ている人たちも「あったかい気持ち」になれるんです。みんなが「あったかい気持ち」をまわりの人たちに分けてあげられるんですよ。私(園長)もあったかい気持ちになれると思うと、とっても楽しみです。


クリスマスページェント(聖誕劇)って?

 取手幼稚園ではクリスマスのお祝いを全園児で行います。聖誕劇とはイエス・キリストの誕生を劇にしたものです。イエス・キリストの誕生は不思議な夜の出来事として聖書の中で伝えられています。劇の始まりをたんぽぽ組の子どもたちが歌で導きます。登場人物を演じるのは、ばら組の子どもたち。そして劇中歌をすみれ組の子どもたちが歌って、世界ではじめてのほんとうのクリスマスを知り、みんなで劇が作り上げられていきます。神様は、この世で最も弱く貧しいとされている人々のための救い主としてイエスさまを誕生させて下さいました。聖誕劇をとおして、世界中の様々な状況にいる人たちの事を覚え、クリスマスはプレゼントをもらうだけの日ではなく、あげることの大切さを考えてこの時期を過ごしていきます。一人ひとりに無理や負担にならないように、なおかつ持っている力を出来るだけ引き出してあげたいという思いからページェントの台本や構成は毎年変えています。たいていの場合、物語には『主役』がいることになっていますが、聖誕劇の中でイエス・キリストの誕生を語る時、全ての登場人物がそれぞれに大切な役割を持っており、そのどれかを欠かすことはできません。『みんなが主役』です。今年のクリスマスもお家の方と一緒に迎えられるよう願いながら過ごしていきます。


子ども礼拝 2015年 11月13日

 この前は作品展がありましたね。みんなが作ったもののことを「作品」って言います。みんな色々なものを楽しく作ることができましたか? それを見たお母さんお父さんたちは、どんなふうだったでしょうね? 喜んで見てくれて、きっと、写真なんかも写していたかもしれませんね。お母さんお父さんたちは、どうしてみんなが作ったものを見るのが嬉しいのでしょう? それはね、みんなが「とっても大きくなってきたな」っていうのが、そのみんなが作った作品を見ると、よく分かるからなんです。「上手にできたね」、「がんばったんだね」って、お母さんお父さんたちは言ってくれることでしょう。みんなが一生懸命がんばった、その力がね、みんなが作ったもののなかにグッとこもっているんです。だからね、それを見ると、「いいなあ」って思っちゃうんですね。
 みんなは少しずつ大きくなって、やがて大人になって、今はできないことがいろいろできるようになります。それは僕たち私たち人間ばかりではありませんよ。ほかの動物もそうです。お野菜や果物もそうなんですよ。みんなはお野菜や果物を、好きですか? どんなお野菜や果物が好きでしょう? 嫌いなおともだちも、ちょっと食べてみてください。とっても美味しいはずですよ。それにね、栄養があります。どうしてでしょう? それはね、お野菜や果物の中にも、がんばって大きくなっていこうっていう「力(ちから)」がこもっているからです。
 ちょうど今ごろはね、いろんな野菜や果物がとってもおいしい季節です。みんなの中に、がんばる力があるのと同じように、お野菜や果物の中にも力があります。その力を、おいしく食べて、もっと元気になりましょう。でもその時に、僕たち私たちは、生きているお野菜や果物をいただくのだから、心の中で「ありがとう」を言うのを忘れないようにしましょうね。

旧約聖書 申命記 26章10節
 わたしは、主が与えられた地の実りの初物を今、ここに持って参りました。

11月の「園だより(副園長が執筆)」から

 11月は季節の移り変わりがからだ中で感じることのできる季節ですね。幼いこの時期にからだいっぱい季節を感じる経験は、大きな自然の中で生かされている恵みに感謝できる豊かな心を育みます。小さい頃は感じていた感覚をお子様と一緒に味わい思い出してみるのもいいですね。さわやかな秋の空、冷たい空気、木の葉が色づく様子、お米や野菜・果物の収穫・・・私たちにはたくさんの恵みがあたえられています。今月は自然の恵みに感謝し、同時に、自分ひとりで生きているのではなく、まわりのいろんな人に支えられている事を覚え、「収穫感謝礼拝」を行います。
 秋から冬に移り変わるこの時間を、子ども達と一緒に大切にしながら過ごしたいなあ、と思っています。


子ども礼拝 2015年 10月16日

 運動会が終わりました。ばら組さんは、来週には筑波山遠足がありますね。そして、もうすぐ作品展なんかもありますよね。
 さて、「隣人を愛しなさい」ということです。これは「周りの人たちを大切にしなさい」っていうことですよ。
 昨日は、交通安全教室で、道路をどんなふうに歩いたらいいのか、教えてもらいましたよね。あれも「周りの人をたいせつにする」ことですよね。車に乗る大人の人たちは、みんなにぶつかってけがをさせたりしないように、気をつけて運転します。みんなも信号が赤のときには、ちゃんと止まって、車を運転する人が安心して運転することが出来るようにします。
 作品展の準備をこれからすると思いますが、そこでもみんなが力を合わせて何かつくりますよね。そのときだって、じぶんのことだけを考えていては、いいものはできません。
 ときにはけんかをすることもあると思いますけれど、でも一緒に何かをするときに、お友だちの気持ちも考えてみましょう。お友だちはどんなことをしたいのかな? 自分はどんなことがしたいのかな? きっとお友だちの考えていることと、みんなの考えていることが、ちょっとだけ違うんだと思います。僕はこんなふうにしたいな、わたしはこんなふうにしたい・・・ううん、そうじゃなくて、こうやりたい・・・。みんなやりたいことが違うから、けんかになっちゃうかもしれません。そのとき、どんなふうにしたら、そのお友だちと力をあわせてできるかな?って考えてみてください。それが、「お友だちや周りの人を大切にする」ということです。お友だちや周りの人を大切にすることで、僕たちわたしたちは、とっても楽しく、仲良く過ごしていくことができます。お友だちと遊んだりするときも、そういうことを考えてみてくださいね。

新約聖書 マルコによる福音書 12章31節
 隣人を自分のように愛しなさい。

10月の「園だより」から

 10月ですから、ほんとうは、運動会や、秋の空、秋の食べ物なんかのお話をしたかったんです。でも私(園長)は、小さいみんなにも知ってほしい。みんなより苦しい思いをしている人たちがいることを。そしてそれは、遠い世界のことではなく、とっても近いところにも、そんな人たちがいるんです。常総市じょうそうしは、ぼくたちわたしたちの住んでる町のすぐ近くなんです。そこでは、ある日、川の水があふれて、おうちの天井まで水でいっぱいになっちゃったんです。みんなとおんなじ幼稚園に通うお友達が、おもちゃも、お洋服も、なくしてしまったんです。幼稚園のバスも壊れて、幼稚園に来ることもできないんです。おうちの人たちと話してみてください。こんなとき、どうしたらいいのかなって。


9月の「園だより」から

 夏はスイカ、秋になると柿、…私(園長)が子どものころはそんな感じでした。でも、ここのところ、すっかり季節感が失われた感じだし、それに、季節そのものも、何だか急に暑くなったり涼しくなったり、そんな毎日ですよね。でもどんな暑い国にも、どんな寒い国にも、きっと「季節」があるはず。それを感じ取りながら、人は日々を過ごしていこうとしているんです。人の「成長」には、習い事や勉強だけではなく、まわりの少しずつの「移ろい」もまた大きく関わっているのでしょう。2学期が始まります。季節の変化を感じ取りながら過ごしていきたいと思います。


子ども礼拝 2015年 7月3日

 みんなはいつも、お友だちと仲良くしていますか? この幼稚園の中では、みんなが仲良くするっていうことが、とっても大事です。もちろん、時々はけんかをすることもあるかもしれませんね。お友だちがやりたいことを、ぼくたちわたしたちはやりたくない、そんなことも、時にはあるかもしれません。こんなことをやりたい、やりたくない、そんなことを言っているうちに、けんかになってしまうかもしれませんね。これは、みんなのような小さい子だけではなく、おとなの人たちも、そんなことになってしまうことがあるんですよ。
 おとなもこどももそうです。簡単なことでけんかになっちゃうんです。けんかすると、気持ちがいいですか? お友だちのこと、たたいちゃった。それで、いい気持ちになりますか? なんとなく、「やらないほうがよかったんじゃないかな」なんて思ったりすることがあるでしょう。お友だちとけんかをしたことがありますか? けんかに勝ちましたか? 負けましたか? 勝ったとき、負けたとき、そのとき、どんな気持ちでしたか? 勝っても負けても、「やだな~」っていう気持ちになったんじゃないでしょうか?
 どうかお友だちとか、周りの人たちを大切にしてください。みんなは、ひとりで生きているわけではないんですよ。たくさんの人たちと、いっしょに生きていますよね。時には、ちょっとぐらいけんかしてもいいです。でもね、その時、けんかしているそのお友だちは、どんなことを考えてるんだろう? 何をしたいのかな? そんなことも考えて欲しいんです。ぼくたちわたしたちは「こんなことをしたい」って、自分でわかっていますよね。お友だちはどうしたいのかな? そんなこともちょっとだけ考えて、お友だちと仲良くするにはどうしたらいいか、考えて、そして本当に仲良く一緒にいられるといいですね。

新約聖書 コロサイの信徒への手紙 3章14節
 愛は、すべてを完成させるきずなです。

7月の「園だより」から

 いよいよ夏になりますね。「なつまつり」があって、そして夏休みが来ます。私(園長)は夏休みになにをしようかな? やりたいこと、いきたいところ、きっとみんなにもたくさんあると思います。夏休みにしかできないことって、どんなことでしょう? 夏休みにしか行けない場所って、どんなところでしょう? みんなにはこれから、何十回も夏休みがきますよ。幼稚園を終わっても、おとなになっても、夏休みは来ます。でも、今度の夏休みは今度だけです。たった一回の夏休みなんです。たった一回の夏休みを、いろんな人たちと、楽しく仲よくすごしてね。


子ども礼拝 2015年 6月12日

 今日は「花の日」ですね。たくさんのきれいなお花を、みんなありがとう。花の日っていうのは、みんながお花を、いつもお世話になっている人たちのところへ持っていって、喜んでもらう日ですよね。そのときみんなは何て言うんでしょうか? そう、「ありがとう」だよね。みんなは「ありがとう」って言えるでしょうか? その「ありがとう」は、いつでもそうなんだけれど、みんなの心の底から言っているんじゃないとだめなんだ。心をこめて「ありがとう」っていえるでしょうか?
 僕たち私たちは、いろんな人たちに助けてもらって生きています。そして僕たち私たちも、いつかどこかで、誰かを助けることになるかもしれません。僕たち私たちはいつもそんなふうに生きています。私(園長)が「みんな仲よくね」と言っているのは、助けあって生きていける人になって欲しいからです。
 僕たち私たちが、そうやって仲よくなるためには、いつも「心をこめて」ありがとう、とか、お願いします、とかを言わなければいけないんですよ(ごめんね、もそうだね)。
 僕たち私たちはいつも助けてもらってるんだね。それだけでなく、僕たち私たちが助けてあげないといけない時もあります。体などが弱っている人たち、僕たち私たちは優しくしてあげないといけませんよね。僕たち私たちを守ってくれている人たちに心をこめて「ありがとう」を言ってみてください。でも、心をこめて「ありがとう」を言えるお友だちは、大きくなって、きっと誰かから心を込めて「ありがとう」って、言ってもらえるような人になると思うんですよ。そういう人は、きっと自分より弱い人に優しくなれる心を持った人だと思います。心をこめて「ありがとう」って言える人になってほしい。そして、心をこめて「ありがとう」って言われる人になってほしいって、私(園長)は思います。

新約聖書 ルカによる福音書 6章31節
 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

子ども礼拝 2015年 6月5日

 6月になりましたね。雨がいつも降ったりして、ちょっと寒かったり、また、食べ物なども腐りやすかったりで、気をつけないといけない時期ですね。
 さて、「人にしてもらいたいことを、人にもしなさい」っていうのが、今月のお話ですよ。みんなは、どんなことを、まわりの人たちからしてもらいたいですか? いっしょに遊んでほしい。美味しいものを一緒に食べたい…きっといろいろありますね。お友だちからしてほしいこと、おかあさんや、おとうさんにしてもらいたいこと、この幼稚園で、先生たちにしてもらいたいこと、いっぱいあると思うんです。そういうことを、お友だちや、おかあさん、おとうさん、先生たちに、してあげることができるでしょうか? 僕たち私たちは、いつも、まわりの人たちといっしょに暮らしていますよね。そして、何かしてもらったら嬉しいって、思うときがあるじゃないですか。私(園長)は、そういうことを、みんなも、まわりの人たちにしてあげたらどうかなって、思うんです。それはちょっと難しいことです。どうしてかっていうと、「誰かが喜んでくれる」っていうのは、僕たち私たちが、「ちょっとがんばらないといけない」からです。まわりの人が喜んでくれるとき、僕たち私たちは、ちょっとだけがんばっています。おうちの人のお手伝いなどをするでしょう? ちょっと働くってわけですよね。そうすると、おかあさんやおとうさんはとっても喜んでくれますよね。
 みんなは大きくなったら何になりたいですか? いろいろあると思うけれど、そこでみんなは「誰かに喜んでもらう」っていうことをするんです。たくさんの人たちに喜んでもらえるような、すてきな人になってくださいね。

新約聖書 ルカによる福音書 6章31節
 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

6月の「園だより」から

 5月も、もう終わりですけれど、とっても暑かったですね。6月はどんなお天気でしょう? いつもだったら梅雨ですよね。ちょっと寒いし、それに毎日雨降りだと、こっちの気持ちも、ちょっと元気だすのがたいへんだったりしますよね。お天気だけは、ぼくたちわたしたちの思いどおりにはなりません。でもね、ぼくたちわたしたち人間は、その「思いどおりにならないこと」があったとしても、そこをがんばって生きてきました。こういうふうにがんばることを「工夫する」っていいます。雨降りはいやかもしれないけれど、みんなも「工夫」して、いろんな遊びを考えてみてください。そうやってみると、6月も「あめ降りだからイヤ」じゃなくて「あめ降りだから楽しい」ことになるかもしれませんよ。


子ども礼拝 2015年 5月29日

 5月ももうすぐ終わりですね。ぼくたち私たちがおともだちとか、周りの人たちを大切にするっていうこと、そしておともだちとか、周りの人たちもまたぼくたちわたしたちのことを大切にしてくれるっていうことを、お話してきました。
 「大切にする」って、どんなことでしょう? まずは、その人の気持ちをわかってあげるってことです。みんなは、おかあさんやおとうさんを大切にしていますか? どんなふうに大切にしているでしょう? おかあさんが、とっても疲れて、寝ていたとします。そんなときは、みんなはどうしますか? ちょっと考えてみてください。「大切にする」っていうのは、そのひとが悲しむようなことをしないっていうことです。おともだちや、先生や、おうちの人たちにきいてみてください。「どんなことをしたら悲しい?」って。
 そしてもうひとつあります。それはね、「仲間はずれにしない」っていうことだと思います。ぼくたち私たちは、いつも楽しく遊んでいますよね。きらいなおともだちはいませんか? そして、そのおともだちを仲間はずれにしていませんか? だれでも、仲間はずれにされたら、とっても悲しいじゃないですか。みんなは、仲間はずれにされたらどんな気持ちになりますか? きっとみんな、悲しいでしょう? それならみんなも、誰かを仲間はずれにしてはいけません。誰かが悲しむようなことはしない。誰かを仲間はずれにしない。それをみんなでやってみてほしいなって思います。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章34節
 互いに愛し合いなさい。

5月の「園だより」から

 私(園長)は、5月が誕生月です。だから毎年5月がくると、今年はどんな5月かなって、ちょっと楽しみです。もちろん自分が生まれた年の5月がどんなだったかは知りません。赤ちゃんでしたからね。でも5月がくるたびに、お母さんが、どんな季節で、どんなお天気で、どんなふうに暖かかったり、寒かったりの中で自分を産んでくれたかなって、ちょっと思ってみるんです。51年前と今とでは、きっとずいぶん違っているでしょうね。でもあの頃も今も、新緑の季節ということに変わりはなさそうです。みんなが生まれたときと同じように、私(園長)が生まれたときもお母さんやお父さんは喜んでくれたに違いありません。そういう一日を、緑の中で、想像してみるんです。


子ども礼拝 2015年 5月22日(この日は副園長がおはなしをしました)

 昨日は遠足に行きました。楽しかったかな? なにがいましたか? 動物がたくさんいましたね。お花もたくさん咲いていたのに気がついたかな? みんなのクラスでもお花を育てているよね? お花って、小さな種から、太陽や雨の神さまからの恵みをいただいて、少しずつ大きくなって、花を開かせるんだよね。今日はお花のお話をしようと思います。

 あるお庭に、小さなお花が咲きました。小さな小さな白いお花です。長い間土の中にいて、やっときれいな花を咲かせました。けれども、そのお花はいつも、とても悲しい顔をしていました。ある時、地面を歩いていたアリさんが聞きました。「どうしていつも悲しい顔をしているの?」白い小さなお花は言いました。「どうしてわたしが悲しい顔をしているかですって? それはね、小さいから。」周りに咲いている花たちは、どれもみんな背が高く、赤や黄色のきれいな色をしています。そして、その周りには、蝶々やみつばちが遊びに来てその蜜を吸って喜んでいます。「小さい私の所へは誰もこないわ。だって小さくて誰も私に気がつかないもの。」小さなお花は、悲しい顔をもっと悲しくさせて言いました。
 ところがある日、小さなお花のところに、一匹の蝶々がヨロヨロとやってきました。そして小さなお花にとまると言いました。「少しここで休ませて下さい。羽にけがをしてしまって、高いところを飛べないのです。高いところを飛べないから、蜜を飲むことができなくて、とってもお腹がすいているのです。」それを聞いた小さなお花は言いました。「私の蜜をどうぞ。」けがをした蝶々は、喜んでお腹いっぱいになるまで、小さなお花の蜜を飲みました。そして「お腹いっぱい蜜を飲んでとても元気になりました。また高いところまで飛べそうです。ありがとう。」そう言って、またどこかへ飛んで行ってしまいました。それっきり、その蝶々が、小さなお花のところへ来ることはありませんでした。でも、いつも悲しい顔をしていた小さなお花のその顔は、うれしい顔に変わっていました。

 どうしてうれしかったのかな。それは小さな自分が、一匹の蝶々のために蜜をあげて、蝶々が喜んでくれたからだよね。神さまは、わたしたち一人ひとりのことをいつも見ていてくださり、大切にして下さっています。そしてみんなに、必ず『自分ではない誰かのために出来る事、誰かを助けたり喜ばせたりできる力』をくださいました。みんなにもその力があるんだよ。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章34節
 互いに愛し合いなさい。

子ども礼拝 2015年 5月15日

 先週は「母の日礼拝」をやりましたね。お母さんがみんなのことをとっても好きでいてくれるので、みんなもお母さんを好きでいてあげて下さい。
 さて、みんなはお母さんの他にも好きな人がいるでしょう。たとえばこの幼稚園のおともだちなどもそうです。「おともだちをきらいだ」というのより、「おともだち大好き」のほうがいいに決まっています。「おともだちを好き」というのは、「おともだちを大切にする」ことです。それは、お母さんやお父さんがみんなを大切にしてくれるのとおなじです。みんなが泣きたいときに、お母さんやお父さんはみんなのことを放っておくでしょうか?きっとみんなのお話をきいてくれるでしょう。そして、どうして泣きたいのか、みんなはお母さんやお父さんは聞いてくれると思います。それだけではありません。みんなと同じ気持ちになってくれると思います。もちろん、お母さんやお父さんはおとなですから、そんなに簡単には泣きませんよ。でも、みんなが悲しい時には、お母さんやお父さんもやっぱり悲しい思いをしているでしょう。
 誰か人を大切にする、というのはそういうことです。その誰かと、同じような気持ちになってみてあげることです。誰かが悲しんでいるけど、自分は楽しいから関係ない、そういう人は、誰かのほんとうのおともだちになることはできません。
 みんなはおともだちを大好きになってください。それはおともだちの気持ちをわかるひとです。おともだちの気持ちをわかってあげられるひとになってください。そうしたらそのとき、相手のおともだちもきっとみんなのことをわかってくれるようになります。そのときみんなは「ほんとうのおともだち」になれると思います。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章34節
 互いに愛し合いなさい。

子ども礼拝 2015年 5月1日

 お休みの真ん中ですね。みんな、おうちの人たちと、どんなふうに楽しく過ごすのでしょう? そして、幼稚園の新しい生活にも少しずつ慣れてきたところだと思います。さて、ぼくたちわたしたちは、「互いに愛し合いなさい」という言葉を覚えようとしています。これはね、「みんないっしょに、周りの人を大切にしましょう」ということです。ぼくたちわたしたちの周りには、どんな人たちがいるでしょう? まず、おうちには、お母さん、お父さんがいますよね。そして、お兄さん、お姉さん、妹、弟などの兄弟がいるところもあるかもしれませんね。おじいちゃんやおばあちゃんが、一緒におうちに住んでいるかもしれません。一緒に住んでいなくて、遠くで暮らしていることもあるかもしれませんね。そして、この幼稚園のなかではどうですか? お部屋のお友だちやお部屋の先生がいますね。それ以外にも、ほかのお部屋のお友だちやほかのお部屋の先生たちがいます。そのほかにもいろんな人たちが、ぼくたちわたしたちの周りにはいます。でもね、ぼくたちわたしたちには、そういうふうに周りの人たちの気持ちがなかなかわかりません。ぼくたちわたしたちは、それぞれ「自分の気持ち」っていうのがあります。嬉しいとか、悲しいとか、怒りたくなるときもありますよね。それと同じように、まわりの人たちにも、それぞれ「気持ち」があります。ぼくたちわたしたちは、「自分の気持ち」は自分でわかりますよね。だけど、周りの人たちの「気持ち」は、なかなかわかりません。お友だちは「どんなふうにかんがえているんだろう」って思っちゃいますよね。でも、そこでちょっとがんばってみてほしいんです。周りの人たちがどんなふうに思っているのか、周りの人たちの「気持ち」がわかるようになったらとってもいいなと思うんです。ぼくたちわたしたちが、それをできるようになると、今度は、周りの人たちも、みんなの気持ち、ぼくたちわたしたちの気持ちをわかってくれるようになります。そうすると今までより、もっと「仲良し」になれると思います。周りの人たちと、もっと「仲良し」になってください。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章34節
 互いに愛し合いなさい。

2015年4月の「園だより」から

 新しい年度が始まりましたね。さて、みんな「新しい」って、どんなことでしょう? それはね、いろんなことが「変わっていく」ということなんですよ。この幼稚園も、お友だちが卒園し、またほかのお友だちが来ますよね。そして、みんなも、お部屋と先生がかわりましたよね。いろんなことが「新しく」なると、ぼくたちわたしたちは、ちょっと慌てちゃうかもしれません。だから、新しい生活を始めようとするときは、ちょっぴり「勇気」を出さないといけないかもしれません。でも、きっとだいじょうぶ。みんなには、先生や、おうちの人や、お友だちや、たくさんの人たちがついていますからね。


子ども礼拝 2015年 4月24日

 新しい年度が始まりましたね。新しいお部屋はどんな感じでしょう? 新しい先生たちとは、なかよしになれましたか? みんなはいま、そういう新しい場所で、新しい先生やおともだちと、きっといろんなことをやってみたいでしょう。どうかなんでもやってみたいことをやってほしいなって、私(園長)は思います。でもそんなときに、ひとつ、大切にしてほしいことがあります。それはね、「どんなことをしたら、みんながよろこんでくれるかな」って考えてみてほしいんです。「みんな」っていうのは、おうちのひと、おともだち、それから、みんながあんまりよく知らない人たちもそうなんですよ。そういう人たちみんなが「いいなあ」って、思ってくれるようなことを、なんでもやってみてください。どうしてかっていうと、みんなは、ほかのおともだちから何かしてもらって、「うれしい!」って思うときがあるでしょう。そういうときは、とってもきもちがいいよね。そのとき、そのおともだちとはもっと仲良くなれそうな気がするじゃないですか! そういうおともだちは、とってもすてきなおともだちだと思えるんです。ぼくたちわたしたちも、そういうすてきな人になってみたらどうかなって、思うんです。ぼくたちわたしたちが、何かをしゃべったり、何かをやってみようとするとき、「あいてのひとや、おともだちがよろこぶかな?」って、ちょっと考えてみてください。そしてぼくたちわたしたちが、ときどき「いじわる」をしたくなったり、「わがまま」を言ってみたくなったりしたときも、ちょっと考えてみてください。「それでみんながよろこぶかな? かなしいきもちになるひとはいないかな?」って。いつもちょっと考えてみて、そしてそのあと、みんながよろこぶことをなんでもやってみてくださいね。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 5章8節
 あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。

2015年3月の「園だより」から

 3月です。「お別れ」の季節だなって思います。4月から小学校にあがるので、幼稚園と「お別れ」するお友だち・・・。今までの先生や、お部屋と「お別れ」するお友だち・・・。僕たち私たちは、とっても仲がよくても、いつか「お別れ」しないといけません。どうして僕たち私たちには、「お別れ」というのがあるのでしょう。
 みんなと同じくらいの時、私(園長)は、そんなことを考えました。大好きだったおじさんが死んじゃったからです。今でもどうしてかは、わかりません。でも、あの時、私(園長)の母が言ったことを今でも覚えています。「お別れするのが悲しいって幸せだね。その人のことを本当に好きだったんだものね」。あの時からずっと、「お別れは、悲しいけれど、大切なことかな」って、思っています。


子ども礼拝 2015年 3月14日

 ばら組の皆さん、おめでとうございます。いよいよ卒園ですね。これからみんなは小学校に進みます。小学生になったら、きっといろいろやりたいことがあると思います。そして、いろんなことができるようになると思います。小学校で出会うお友だちと一緒に、小学校の先生たちと一緒に、いろんなことを、やってみてください。幼稚園でできなかったことを、なんでもやってみてください。
 さて、取手幼稚園の先生たちはたったひとつのことだけを、みんなに教えてきました。それは、みんなが小学校へ行ってからも、とっても大切です。いいえ、みんながおとなになってからも、おばあさんやおじいさんになってからも、とっても大切です。そのおはなしをしましょう。
 このあとで、みんなが歌ってくれる「空より高く」という歌がありますよね。その中で、「人の心は空よりも高くて、海よりも深い」って、言っていますよね。「こころ」というのはね、みんなは生きている間、見ることはできません。体の中のどこにあるのか、私も見たことないから知りません。でも、「こころ」というのは、ぼくたちわたしたちが一番大切にしなければならないものです。みんなはまだ小さいけれど、みんなの「こころ」はホントに大きい。「そらより高く、海よりふかい」んです。「こころ」っていうのは、生きていくときの「ちから」みたいなものです。おっきいちから、おっきい「こころ」を持って、みんなは生まれてきたんです。おっきい「こころ」があると、きっとなんでもできますよ。どうか「こころ」を大切にして、どんなこともあきらめない人になってください。「こころ」を大切にするっていうことは、「自分を大切にする」っていうことです。そしてもう一つ、「他の人を大切にする」っていうことです。ぼくたちわたしたちは一人で生きているわけではありません。いつもいろんな人たちに助けてもらって生きています。だから、ぼくたちわたしたちもまた、いろんな人たちを助けていかないといけませんよね。ほんとに大きい「こころ」っていうのは、誰かを助けてあげられる「こころ」です。そうするとね、みんながおおきな「自分のこころ」を大切にすればするほど、まわりのたくさんの人たちを、助けてあげられるっていうことになります。このことは、学校へ行ってお勉強ができるとか、スポーツができるとかいうことよりももっと大事なことです。
 私も他の先生たちも、ただそのことだけをみんなに伝えてきたつもりです。どうか、そういう人として、これからも大きくなってくださいね。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2章15~16節
 02:15そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 02:16命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。


子ども礼拝 2015年 3月6日

 みんなの今年度もいよいよ終わりです。きょうは卒園式の練習をやっています。ばら組さんが、この幼稚園とお別れするのも、もうすぐです。お別れするっていうことは、もう会えなくなるってことですね。もちろんこの取手の町から引っ越してしまうわけじゃないので、またどこかで会うとは思いますよ。でも、ここを卒園したら、ここの先生たちが、みんなと遊んでくれるってことは、もうないんです。そして、ここの先生たちがみんなを叱ることも、もうないんです。「みんなはこの幼稚園でもういっぱい遊びました、お友だちや、先生たちと、いっぱい楽しく遊びました、先生にもいっぱい叱られました、たくさんの思い出を作りました、この幼稚園で、せいいっぱいやりました。だから、もうお別れします」__それが、卒園するってことなんです。
 ばら組さんのみんなは、これから小学校に行きます。幼稚園の先生たちは、もう遊んでもくれないし、叱ってもくれない。これからは、みんなは自分で考えて、何でもするんですよ。どんなことはやってもいいんだろう? どんなことをしてはいけないんだろう? 自分ひとりのときは、どんなことをしたらいいかな? お友だちと一緒にいるときは、どんなことをしたらいいかな? 何か作ろうとしてじょうずにできないときは、どんなふうにしたらいいかな? お友だちとけんかになっちゃいそうなときは、どうしたらいいかな? ほんとにけんかになっちゃったら、どうしたらいいかな? 仲よくするにはどうしたらいいかな?・・・そういうことを、ここの先生たちは、みんなにちゃんと教えてきたと思います。みんなはそのことがよーくわかったと思います。だから、もうお別れをするときなんです。お別れをしても、この取手幼稚園で、どんなふうに楽しかったかな、どんなことをしたときに叱られたかな、そういうことを、忘れないでください。卒園式の本番まで、風邪をひいたりしないように気をつけてね。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2章15~16節
 02:15そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 02:16命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。


子ども礼拝 2015年 2月27日

平和へいわ」をつくひとが、しあわせにきていくことができるっていうのが、今月こんげつ聖書せいしょ言葉ことばですよね。でも「平和へいわつくす」って、なかなかむずかしいかもしれません。
 みんなは「戦争せんそう」とか「たたかい」の場面ばめんをテレビやDVDなどでることがあるでしょう。それはかっこいいですか? もしみんなが、戦争せんそうたたかいの場面ばめんを「かっこいい」ってっても、わたしはみんなをしかったりしません。みんながドッジボールやたたかいごっこをやっていて、「ちたい」っておもうのとおなじだからです。それによくているから、ひょっとしたら「かっこいい」って、おもっちゃうかもね。でもね、ちょっとだけちがうところがあります。それはね、本物ほんものの「戦争せんそう」では、本当ほんとうひとんじゃうってことなんです。んだら、ひとはもうかえりません。みんなは、自分じぶんじゃっても、それでいいですか? それは、「かっこいい」ことでしょうか? おとうさんや、おかあさんがんじゃったら、それは「かっこいい」ことですか? わたしは「かっこいい」なんておもいません。それは、とってもかなしいことだとおもいます。本当ほんとうの「戦争せんそう」は、ドッジボールやたたかいごっことは、そこがちがうんです。みんなの大好だいすきなひとたちと、もうえなくなっちゃうってことなんです。だから、かっこよくもなんともないんです。
 だれかがけんかをしているのをとき、みんなだったらどうしますか? 「もっとやれ!」って、いますか? わたしはそんなのを、ちっともかっこいいとはおもいません。「けんかなんかやめろ!」って、みんなはえますか? それは本当ほんとうは、とっても勇気ゆうきることなんですよ。けんかすることは、べつ勇気ゆうきがなくてもできるんです。でも、それを「やめろ」っていうのは勇気ゆうきります。その勇気ゆうきせるひとになってください。本当ほんとうに「かっこいい」のは勇気ゆうきのあるひとです。やってはいけないことを「だめだよ」って、えるひとになってしいなって、わたしおもいます。

新約聖書 マタイによる福音書 5章9節
 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

2015年2月の「園だより」から

 2がつになりました。まめまきで「おにはぁ~そと!」って「いますよね。「おにていけ!」っていうことですよ。でもそこで、ちょっとかんがえてみてください。その「おに」っていうのは、「本当ほんとうわるいことをしているおに」ですか? それともぼくたちわたしたちが「なんとなくきらいなおに」ですか? この2つの「ちがい」は、なかなかおっきいんですよ。
 ぼくたちわたしたちには、いつも「きなもの」「きらいなもの」があります。でも「きらいなもの」がいつも「わるいもの」とはかぎりません。「本当ほんとうわるいことをしているおに」にかって「おにはぁ~そと」をってしいって、わたしおもいます。


子ども礼拝 2015年 2月13日

 「平和へいわ」っていう言葉ことばがあります。みんながいつもているテレビなんかにも、「平和へいわ」っていう言葉ことばてくるでしょう。「平和へいわ」って、なんでしょう? ぼくたちわたしたちがけんかをしないこと、それも「平和へいわ」のうちにはいるかもしれません。でもね、ぼくたちわたしたちは、みんなそれぞれ、あたまなかかんがえていることがちょっとずつちがいます。そうすると、おともだちはこんなふうにかんがえているけど、ちょっとちがうな、そうじゃないな、っておもうことがときどきあります。みんなのかおがそれぞれちがうように、みんながあたまなかおもっておもっていることも、やっぱりちがいます。そのときです。みんなが「平和へいわ」っていうのをかんがえないといけないのは。  みんなは、みんなのやりたいことがあります。みんなはあたまなかで「こうしたいな」ってかんがえたことをやりたいにきまっています。でも、おともだちは、ほかのことをやりたいかもしれませんよね。そういうときどうなりますか? みんなが、自分じぶんのやりたいことだけをやろうとしたら、どうなっちゃいますか? きっとけんかになっちゃうとおもうんですよ。それは、「平和へいわ」じゃないってことです。そこでけんかになっちゃうのは、「平和へいわ」じゃないんです。どうしてでしょう? みんなが、「わがまま」になっちゃうからです。「わがまま」って、なんですか? 「自分じぶんひとりがたのしくて、うれしければそれでいいや」―それ、「わがまま」です。「ほかひとはどうでもいいや」―それ、「わがまま」です。みんなが「わがまま」だったら、けんかになってしまいますよね。「わがまま」なひとたらどうおもいますか?「やだな」って、おもうでしょ。おとなのひとたちがそれをやったら、どうなりますか? 「戦争せんそう」になりますよね。「戦争せんそう」って、とってもおおきな「やだな」なんですよ。かっこよくもなんともないんです。「平和へいわ」のほうが、よっぽどかっこいいんですよ。そのことをおぼおぼえてくださいね。

新約聖書 マタイによる福音書 5章9節
 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。